ソフィア65歳 ガン克服とアイドルへの道 1
2020.6月 <雅子さんとの出会い>
初めてのインスタライブ中に雅子さんに声をかけてもらってバイ柴49に入ることになりました。そのきっかけは、ほんとに面白い出会いでした。
私はインスタライブなどやったことも無く、娘のかすみが
と声をかけてくれたのがきっかけで、その日初ライブをしていたのです。
そんな中、雅子さんがチャットで入ってきてくださって、かすみと挨拶を交わし、かすみがライブ相手は母のソフィアです。と私を紹介してくれたのがきっかけで、雅子さんが私に
「ソフィア、バイ柴49のダンスグループに入らない?」
と誘ってくださったのが奇跡体験の事の始まりでした。
雅子さんは、アメリカでスピリチュアルカウンセラーとして何十年も活躍されている方です。
そして、とにかく純粋に夢をずっと叶え続けている人で、何が起こるかとかどのように叶えていくのかなど、私達がついつい考えがちでつまずきがちなところをいっさいはぶいて、ずんずん進んでいくタイプの方なんです。
最初皆がびっくりするようなことをよく言われるんです。
「これやりましょ!」「あれもやりましょ!」「これ面白そうじゃない!」と言って、旗の振り役をされる方で枠がなくって、
その話を聞くと皆「えっ、そんなことできるの?」と思うんですが、見てると楽しそーとワクワクしてきちゃう感じになって、雅子さんについていくというより、巻き込まれながら気づいたら楽しくなっていて、気づいたら叶ってるというプロジェクトが今まで山のようにある方です。
バイ芝49というプロジェクトもとてもおもしろいもので、最初は雅子さんの遊び心で「こんなサービスどうかしら?」というところから柴犬をバイリンガルに育てましょうというプログラムでバイリンガルのバイと柴犬の柴のプロジェクトが始まったのがきっかけです。
そんな中、友人だったアメリカで活躍されているシンガーソングライターのセンカさんが作られた「ゴキゲン気分」というすばらしい歌があって
「バイ柴49というアイドルグループどうかしら?」というアイデアがFBライブで出てきたときに「いいじゃない!やりましょうよ。」と、同時にセンカさんの歌をプロ仕様で編曲して何百万もかけて、アイドルが大手の会社から出してるようなすばらしい編曲をしてもらったんですが、
それがかっこいいアレンジでできあがってきたという経緯もあり、バイ柴49が結成され、そのためのメンバースカウトをしていたのです。
それも「貴方どう?」「貴方やらない?」ピンときた人全員に「バイ柴49に入らない?」と声をかけていらっしゃいました。
雅子さんとかすみは、かすみが自分ビジネスというものをちょうど始めたときにご縁がありました
自分ビジネスというのは、自分の好きなことをお仕事にしようという、八木さやちゃんが発信しているメソットで自分が自分らしく輝くことで、それがお仕事にもなるし、人の勇気にもなるよ。というコンセプトです。
そのコンセセプトのもとかすみがバルセロナで仲間を集めて活動していたときに、当時自分ビジネスの中心でそのコンセプトがすばらしいので皆でやりましょー。と伝えていらした雅子さんにインスタライブのゲストとしてかすみが呼んでいただいたことから私へと繋がってきました。
そして、スカウトされたその日の雅子さんと私のやりとり。
私が
と。すると
と言われたのです。
雅子さんは、
「大丈夫、車椅子でいいから!ハッハッハッー!」といつもの屈託の無い軽快な笑い声。
「なんだかおもしろい方。こういう方に今まで出会ったことが無い。」と思いました。「それなら入ります。」とノリで入ってしまったのです。
それからは、LINEグループのノートにアップされたダンスビデオを見ながら体を動かしてみるものの、曲は聞こえても、歌がいまいち何言ってるか分からない状態で、全然前に進みません。
一人でやってると、疲れるとすぐ休む、歌と振りがくっつかない、股関節も痛い、左肩も痛い!
その頃から左肩が痛くて「痛いー!」と叫ぶほどになってきていました。そんなこんなで練習に身が入らず月日は流れていきました。
2020.9月 <福島合宿に参加>
バイ柴49として沖縄合宿に次ぎ、二回目の合宿にご縁があり福島合宿に参加しました。
と言っても全然踊れなくて、恥ずかしくて恥ずかしくて、ありさんのように心はちいちゃくなっていました。
一日目
練習4時間 合宿に来る二週間前からダンスの練習をしてみたものの歌もやっぱり鮮明に聞こえず、なかなかおぼえる事ができなかったのですが、皆と一緒の空間リアルということもあり、ハルコ先生が目の前にいらっしゃるので画面で練習するのとはまったく違って体に染み入るような感じがしました。
二日目
練習4時間 さすが二日目は昨日の足の痛みがあり疲れも取れていなくて、ついて行くのが必死。
おまけに昨日より難しい振り付けが入ってきて、脳はてんやわんや。元来ダンスが好きで若い頃はよく踊っていた私でしたが、この練習風景は嬉しいけれど足が付いていかず4時間後「これで練習終了!」と言われた時には内心すごく安心したものでした。
しかし、さすがリアルだけあって今まで画面の中だけで交流していた方達と会えることの嬉しさにより、気持ちもほぐれてきて、みんなで踊るって楽しいな!という感覚になっていました。
帰る頃には、皆のようには踊れないけど一昨日よりもずっと踊れるようになっていたと思います。
2020.9月~11月 <その後のダンス練習>
たまに練習していましたが、ほとんど毎日の生活と左肩が悪化して激痛に変わっていたので、毎晩「痛い~!痛い~!」と夜中に叫んでしまうほどでした。
それでも、ダンスの練習は忘れがちになりながらもハルコ先生のビデオを見ながらやってはいました。合宿に行く前よりも画面を見ても振り付けが分かるようになっていました。
さすがリアルで受けると違うんだなー。と再度感じていましたが年のせいにしてはいけないけれど覚えが悪くてかなり苦戦していました。
左肩の激痛に耐えながら、忘れがちになりながらの練習でいた。
2020.11月 <がんと宣告されて>
一年に一度の健康診断の日になって厚生病院にいつものように検診に行きました。何の心配も無く、何の憂いも無く。いつものように問題なし!そう言われると思っていたのです。
その結果が届くとそこには、乳がん検診に「精密検査必要」と書かれていました。
もともと健康診断も町で一番大きな病院にかかっていたため、そのままそこで精密検査を受けることにしましたが、とうてい「乳がんの疑いがある」という言葉を実は、まったく受け入れていない自分がいました。