ソフィア65歳 ガン克服とアイドルへの道 3

ガン克服とアイドルへの道

ソフィア65歳 ガン克服とアイドルへの道 3

2021.1.18 <それからの練習と再度神様からのお告げ>

それから、毎日練習を始めました。
いくら踊っても覚えられない脳みそ!「んー!もっと脳が若かったらなー!くー!」そんな日々が続きます。

その頃の体調は、乳がんの方は痛みは押さないと感じない程度だったのでそれは良かったのですが、左肩が激痛で腕が上がらない中ダンスのフォームであげなければいけないところがあり、踊っては「はー!」また踊ってはため息をつくありさまでした。

股関節も踊れば踊るほど痛みが増すし、やる気と現実の差が大きくて「どうしましょう!」状態でした。

確かに、はじめから車椅子で出ようとしていたぐらいなので皆と一緒のようには踊れないのが当たり前だったのですが、1月17日からは舞台ではなくMVだし、世界で活躍するプロと仕事するのに「車椅子です。一緒に踊らせてください。」とは私には絶対言えない状況でした。

そんなある日、踊ってはすぐ休憩し、ため息を付いている私に神様から

「雅子さんとの出会いは、神様がつかわされたエンジェルなんですよ。ソフィアが乳がんになると他の誰よりも気落ちして、使命が全うできないから、乗り越えられるように使わされたのです。」

そのように脳の中にメッセージが沸いてきました。

「あー!そうだったんだー!」

そうなら、楽しんで踊らなくちゃ!センカさんが送ってくださった最高の528HZの曲を元気になるために楽しんで踊らなくちゃ!

と再度思わされた一瞬の出来事でした。

 

2021.1.31 <ハルコ先生へダンス動画提出>

実は去年から今年にかけてかすみに

「ダンスが踊れなくって・・・。」

と3回ほど失意のどん底電話をかけていました。

そのたびに、「もうこれが最後やめようか・・・!」と考えていました。

その思いはピークにさしかかっていました。なぜなら1月31日はハルコ先生に自分のダンスを動画で報告する期限だったのです。

 

左肩が上がらない、股関節は痛くてぴょんぴょん飛ばないといけないところも、なにげに飛んだ雰囲気しか出せない!そんな中、練習しても練習しても納得のいく映像は撮れず、夜中の提出時間ギリギリになってしまいました。

 

とりあえず最後に撮った動画を自分のインスタにあげてみました。ちゃんと上がってるかかすみに電話して見てもらうと

「おかあさん、いいじゃん!可愛いよ!一生懸命踊ってる姿がよくでているからバイ柴49にインスタにもアップするといいよ!」

と言ってくれたので、その言葉を信じてアップしてみました。

すると明くる日、皆さんから「勇気がでました。」「かわいい!」などのメッセージをいただき、一生懸命やるって伝わるんだなー。また皆さんに救われたわー。と思いました。

 

 

2021.2.2 <入院して>

入院した日、トキメキ宅急便に入っていたネックレスをお守りに持っていきました。
病室に入ると同年配ぐらいの患者さんが「はー、痛い~。痛い~」とこえが漏れてしまうぐらい苦しんでいらっしゃいました。

私は、その重苦しい空気の中で確実に次元が下がっていく自分を感じていました。私も自分の病状に不安と恐れが増してきて息苦しくなってきました。

これではいけないと思った私は、入院2日目から借りられるWi-Fiを朝6時に借りに行き、PCやipadに設定してファイヤーセレモニーが始まるのを待ちました。

 

ファイヤーセレモニーのいつもの声がイヤホンから流れてくると、「ほっ!」と、したことを強く覚えています。この2ヶ月間毎日どんなに救われてきたか分からないほどでした。

雅子さんとみかちゃんの「ソフィアさんおはようございます。」と、声かけしてくれる元気な声やファイヤーセレモニーの仲間、バイ柴49のメンバーがチャットで声かけしてくれるのが、私のエネルギーになっていました。

セレモニーの中の瞑想をすると痛みが消えるので、それもいつもありがたく思っていました。確実に元気をもらっていました。

元気が出ると何かしたくなるのでその日ダンスのzoom練習会に病室から出ました。ベットの周りのカーテンを閉め切り、看護師さんには内緒でイヤホンで曲を聴きながら踊っていました。皆といると嬉しくて、病室の重い雰囲気を吹っ飛ばすことができました。

 

2021.2.3. <いよいよ手術>

手術は昼からだったので、ファイヤーセレモニーやバイ柴49ミーティングにも少し顔を出すことができました。

手術前一時間の時にピンときて「ゴキゲン気分」のダンスをインスタにアップしました。

528HZに守られて、私もともと超びびりなんですが、皆が祈ってくれていると思うと手術室に入ってもあまり怖いと感じませんでした。

細い小さな板の上に横になり、麻酔がかかると私は無の世界に入りました。

 

手術が終わり集中治療室で目を覚ましました。

息子が「お母さん、大丈夫?」と、聞いてくれたので答えたくて「うん、生きてる。」と言ったのですが麻酔で口元もしびれていてうまく言葉になりませんでした。後でその時の写真を見ると、管につながれて重病患者そのものでした。

 

手術が2時間半、集中治療室で21時間。胸を全摘出しているので仰向けのままで起き上がってはいけないし、水は飲んではいけないし、腰は痛いし。大変でした。

でもそれを過ぎて病室に帰るときは、「自分で歩いてくださいね。」と言われ点滴の台にすがりながら、よろよろと詰め所を一周させられて帰りました。今時みんなそんな感じらしいです。動きなさい。運動しなさいという治療方針が普通なのだとその時聞きました。

その日から眠剤と痛み止めのお世話になり、離せなくなっていきました。

痛み止めが切れるとすぐにもらい、やっと落ち着くといったぐあいです。
そんな状態なので、布団をかぶりベットにうずくまっていると、夕方回診に来たドクターに「おー、完全に巣ごもりしてるねー。」と言われてしまいました。

「あー、いけない!ゴキゲン気分の歌詞のように波動をあげなくちゃ!」

そんなことがあったので、手術2日目から傷の痛みや左肩の痛みには痛み止めを飲みながらダンスをインスタに載せ、リハビリはダンス練習と決めました。

 

毎日、ファイヤーセレモニーで元気をもらい。zoomダンス練習でビハビリして、6時間ごとの痛み止めからは卒業はできませんでしたが、6日目には退院していました。

退院の日、日課の詰め所の周りのウオーキングはジョギングに変わっていて、すれ違う患者さんに

「いいねー、走れて!私は、歩くのもおぼつかないよ!」

と声をかけられたほどでした。痛み止めありがたい。バイ柴49の皆の温かい応援がありがたかったです。

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